桜ん房日誌 ―風が運んだ便り― 2

桜ん房日誌 STORY〜夢うつつ〜

第二章 「麗子さんの棚」

 
〈桜ん房日誌 8月某日 記〉

午前中の陽がまだ和らぐ前、共用スペースの床を掃いていたら、ふと気づいた。
いつも整然としていたはずの麗子さんの棚、その中段に、見慣れない封筒が立てかけてある。紙の縁が、うっすらとめくれていた。

昨日はなかったと思う。あの棚は彼女の「城」みたいなもので、たとえ共用の場所でも、私が無闇に手を伸ばすことはない。でも、何かが引っかかった。たとえば、そこだけ埃の積もり方が違っていたり、微妙に本の配置が崩れていたり。

小さな違和感。
それを口に出すでもなく、誰かに伝えるでもなく、私はただ、そのまま雑巾をしぼった。

麗子さんは、朝のうちにちょっとした荷物を発送しに出かけていた。メルカリの売れ行きがまた上がってきたらしい。暑い中、つば広の帽子をかぶって颯爽と出て行った彼女の背中は、年齢を感じさせない軽やかさがある。

午後、彼女が戻ってきたときには、その封筒はもう、棚から姿を消していた。
代わりに置かれていたのは、旅先のパンフレット。海外の、高級ホテルの写真が表紙になっている。

夕方、麗子さんがキッチンで麦茶を淹れているのを見かけた。
「暑いですねぇ」と笑うその表情は、いつもと変わらない。

私はそれ以上、棚のことも、封筒のことも話題にしなかった。
問いただすようなことではないし、彼女が話したいことなら、いずれ話してくれるだろう。

それが、ここ「桜ん房」のやり方だ。
この場所は誰かを咎めるためにあるのではなく、それぞれが、自分のペースで暮らしを立て直す場所なのだから。

夜、裏庭に出て涼んでいた温子さんが、鉢植えのバジルを見ながらこう言った。
「今年の葉っぱは、少し控えめね。去年より香りも優しい気がする」

風がそっと、桜の木の葉を揺らした。
その音が何かの返事みたいで、私は日誌に、そっとその気配だけを記した。

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