序章「風の音を聞く午後」
〈桜ん房日誌 7月某日 記〉
湯河原の朝は静かだ。
寝苦しさの残る夜を引きずったまま、山の上の雲がじわじわと白んでいく頃、私は台所の窓を開けた。
少し前に吊した風鈴が、風の気配だけを小さく鳴らす。
その音に、今日も始まるな、と思う。
この家──桜ん房は、昭和の古民家を改築したシェアハウスだ。
庭に一本、大きな桜の木がある。
もう何十年もここに立っていて、春には薄紅色の花を咲かせるけれど、夏のあいだは何も語らず、ただ静かに葉を茂らせている。
まるで、見えない時間を抱えているように。

私は今朝も、その桜の近くに置いた鉢の世話をした。
ローズマリーとタイム、それからセダムの一鉢。手のかからない草たちばかりだ。
土が乾きすぎていたから、ほんの少しだけ水を足す。
これでじゅうぶん。放っておけば、勝手に育つような、そんな植物たち。
庭の奥では、西村温子さんが既に動き始めていた。
彼女はこの家の“ガーデニング係”で、ミニトマトやナスの様子を見ながら、支柱を直したり、虫のついた葉を摘んだりしている。
「草や虫が先に知らせてくれるのよ」と、温子さんはよく言う。
まるで土と会話しているみたいに、彼女は庭に溶け込んでいる。
私はというと、もともとこういう暮らしに向いていたわけではない。
若いころは、リゾートバイトを渡り歩いては、住み込みで働く生活を続けていた。
いわゆる「根無し草」だった私が、今ではこうしてシェアハウスの管理人だなんて、自分でも不思議だと思う。
この家を立ち上げたのは、オーナーの伊藤鈴子さん──通称「りんこさん」。
年齢不詳の優雅なマダムで、今は世界中をクルーズ船で巡る暮らしをしている。
夫が遺してくれたこの家を、彼女は“人が出会って、生き直す場所”にしたいと言っていた。
「物にも人にも執着しない。それがいちばんの贅沢よ」
そう笑う顔が、桜の花と同じくらい優しかったのを覚えている。
今、この家には五人の女性が暮らしている。
かつては教師だった人、空の上を飛んでいた人、夫を看取った人、翻訳の仕事をしている人……
それぞれに過去があり、でもそれを無理に語ろうとしない静かな距離感がある。
ここでは、過去よりも“これから”を大事にして生きている人が多い。
この家にいると、ときどき思う。
桜って、咲いているあいだより、咲いていない時期のほうがずっと長い。
でも、その時間がなければ、あの花は咲かないのかもしれないって。
そしてこの夏、その見えなかったものたちが、ふとしたきっかけで音を立てはじめたのだった。
―――私は、その記憶も書き残しておくことにした。
『桜ん房日誌』の、新しい一頁として。


